四旬節第5主日

2017年4月2日(日)四旬節第5主日 A年

福音(ヨハネ11,1-45)では、ラザロのよみがえりの次第が語られています。
次に日曜日は「受難の主日」、その次は「復活祭」で、典礼を通して主の過越しの神秘、死からいのちへの神秘を思い起し、乾燥する時です。

四旬節第4主日

2017年3月26日(日)四旬節第4主日 A年

福音(ヨハネ9,1-41)では、生まれながらに目の見えなかった人がイエスのよって癒され、目が見えるようになったことが語られています。

この箇所は、三つの場面で構成されています。癒しの現場、ファリサイ人と癒された人との会話、癒された人とイエスの会話です。(「福音の記憶」岩島忠彦説教集p.87-92参照)

curacion

 

四旬節第3主日

2017年3月19日(日)四旬節第3主日

福音(ヨハネ4,5-42)では、サマリアのヤコブの井戸の傍に座って休んでいらっしゃったイエスと水を汲みに来たサマリア人の女性との対話が語られています。イエスは、その女性に「水を飲ませてください」と言われます。

この福音のテーマは「水」で、水はいのちのシンボルで、洗礼式の「水」の意味を思い起させます。

ヤコブの井戸

 

四旬節第2主日

2017年3月12日(日)四旬節第2主日

福音(マタイ17,1-9)では、イエスがペトロ、ヤコブ、ヨハネをつれて高い山に登られ、そこでこの3人の弟子に、イエスの受難・死・復活の予告をなさったことが述べられています。

タボル山

教皇フランシスコは、3月12日(日)の正午の祈りの集いで次のように話されました。(バチカン放送局ホームページより)

この箇所は、イエスがペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人の弟子を連れて高い山に登った時、イエスの姿が彼らの前で変わり、顔が太陽のように輝き、服が光のように白くなった出来事を記している。この時、弟子たちは、モーセとエリヤが現れてイエスと語り合うのを見た。

教皇は、「輝き」によって特徴づけられるこの出来事は、弟子たちの精神と心を照らし、彼らの師イエスが誰であるかをはっきりと理解させる目的を持っていた。

イエスはエルサレムへの途上にあり、そこで死を宣告され、十字架につけられることになるが、イエスはこの十字架という、弟子たちの信仰にとっての大きな「つまづき」に備えるため、またご自分の復活を予告するために、メシア、神の御子としての姿を現された。

 

 

四旬節第1主日

2017年3月5日(日)四旬節第1主日

教会では、今日のミサの中で洗礼志願式、求道者が洗礼を望む決意を表明する式が行われます。
洗礼志願者となった人は、復活祭でに洗礼をめざして最終的な準備を始めます。

洗礼は、キリストの死と復活にあずかり、新たないのちに生き始めることを表す秘跡なので、古代の教会では復活祭に行われていました。また、復活祭に洗礼を受ける人の最終的な準備のための期間が徐々に形作られていきました。これが四旬節の起こりです。その後、次第に、四旬節はただ単に洗礼志願者のための季節というだけでなく、キリスト者全体がキリストの死と復活にふさわしくあずかるための期間になりました。(福音のヒントより)

福音では、マタイ4,1-11、イエスが荒れ野で40日間過ごされ、誘惑を受けられたことが語られます。

砂漠 2

四旬節

今年2017年は、3月1日(水)より四旬節に入ります。

四旬節は、灰の水曜日ではじまる40日間(日曜日を入れると46日間)は、1年の典礼の頂点である復活祭を目指しての準備期間です。復活祭の日曜日を含めて46日前から始まりますので、その日は丁度水曜日になるので灰の水曜日と 呼ばれます。

灰の水曜日には、教会では、前年の受難の主日(枝の主日)に祝福された枝を燃やしてできた灰を、額 や頭に受けて回心のしるしとする「灰の式」が行われます。灰の式は、司祭が聖水をかけて灰を祝福し、「あなたはちりであり、ちりに帰って 行くのです」(創世記3,19)と唱えながら、灰で額または頭に十字の印をする典礼儀式です。

天使メッセージ

2017年2月26日(日)年間第8主日 A年

福音(マタイ6,24-43)では、よく聞く次のイエスのことばが読まれます。 「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。」(マタイ6.26)

「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。」(6,28-30)

「『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。」(6,31-32)

教皇フランシスコは2月26日の正午のアンジェラスの祈りの時に、この日の福音を解説して、「すべての生き物に食べ物を与え、野の花を装う神の計らいに見られるように、わたしたちの毎日の生活もまた、神の恵み深く、配慮にあふれた眼差しに見守られている」と話さました。(バチカン放送局ホームページより)

aves del cielo

天使メッセージ

2017年2月19日(日)年間㈹主日 Å年

福音マタイ5,38-48は、山上の説教の続きで、「幸いである」と祝福され、「地の塩、世の光」とされた人々の新しい生き方を指し示す箇所です。ここでもまた旧約の律法と対比された、キリスト者の新しい生き方が示されています。(「福音のヒント」より)

monte de Bienaventuranza

高山右近列福

2017年2月7日(火)、ユスト高山右近の列福式が大阪城ホールで行われました。

教皇代理としてミサを司式した教皇庁列聖省長官アンジェロ・アマート枢機卿は、右近を日本の教会の「偉大な信仰の宝」として示されました。

この説教は、カトリック中央協議会のホームページに掲載されています。
https://www.cbcj.catholic.jp/
https://www.cbcj.catholic.jp/wp-content/uploads/2017/02/20170207homilia.pdf

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天使メッセージ

2017年2月5日(日)年間5第5主日

「あなたがたは地の塩である。」「あなたがたは世の光である。」(マタイ5,13-14)

よく聞く福音が読まれます。この日の東京教区「福音のヒント」では、次のように解説されています。

山上の説教「イエスは決して「地の塩になれ」「世の光になれ」とは言っていません。「あなたがたは地の塩である」「あなたがたは世の光である」とイエスは断言しているのです。塩でない者に向かって無理して塩味を出せとか、光でない者に向かって無理して輝けというのではありません。むしろ、塩なのだから塩味を出すのは当然であり、光なのだから周囲を照らすのは当然だということでしょう。」